序章|〝今日の〟私【上】

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 〝彼女〟がいない生活からもうすぐ十年経とうとしている。今思えば、長いようで短いような。
 覇気があったあの頃と比べると、刺激がないわけではないが、いまひとつ物足りなさを感じることがある。人ではない存在になって、老けることがなくなったせいなのか、時折自分だけ時が止まった感じがするのだ。

 今、彼女が暮らしていた部屋を三日振りに掃除をしているが、ふと、昔の記憶を思い出す度に目頭が熱くなってきてしまう。思い出の品々のほとんどは彼女の故郷である地球へ送ったが、一緒に選んで買ったクローゼットチェストや机、ベッド、鏡などはそのままだ。壁にかけているカレンダーだけ、毎年新しいのに変え、毎月めくっている。

 あと五日で十年経つ。時の感覚をカレンダーや時計で把握できるのは、忘れっぽい私には有難い。

 拭き掃除が終わる頃にはすっかり夕方近くになっていた。

 木で出来たクローゼットチェストには、彼女の成長した身長の大きさを示す堀跡がいくつかある。わずか一年と半年ほどの期間だったが、大きく背が伸びた経過がわかる。指でなぞると、また込み上げてきそうだった。

 扉を開けると中身は空っぽだが、ところどころにクレヨンの落書きがあった。隠れていたずらをするのが好きだったので、その光景が今でも鮮明に思い出せるほどだ。丸で赤と青と白が笑っている様に見える。色がランダムに混ざった絵を見ていると、クローゼットの中に入り込み、手を汚しながらもニコニコ顔で一生懸命に描いていたのだろうかと、無性におかしくて笑えてくる。

 クローゼットの扉を閉じようとした。側面には、今まで気付かなかったが、小さく何か書いてある。

『おじちゃんと、ベロちゃんとで、またくらせますように』

 二度読み返すと、扉をそっと閉じた。

 そう言えば、先月送られてきた手紙の返信文が思い浮かばず、交信が滞ってしまっていた。……彼女は元気にしているだろうか。

 かつては従者として彼女を守るために共に生活をしていたのもあり、仲は良い。私が娘のように思っているところもあるが、男女の関係とは違う意味で愛おしい存在だ。ご健在の両親には申し訳なく思うが、息の合う義理の親子のような関係性と言ったところだ。もっとも、私がそう感じているだけで彼女は違うと思うが。

 私は彼女の部屋から出ると、米を炊くためにキッチンへ向かった。……今日は五合くらいで十分だろう。
 炊飯器のタイマーをセットすると、直ぐに自室に戻った。
 仕事用のデスクのキャビネットの中を開け、懐かしい手紙を読み始めた。

「おじちゃん。あたし、つよくなる! ちきゅーでいちばん、つよくなる! ……そしたら、たくさんのひとたち、げんきになるよ[星] それで、それがおわったら、また、おじちゃんのところにいくって、きめたの。 また、おてがみするね! ユキより」

 最初の手紙だった。
 私と離れても努力を怠らない姿勢には感服する。

 それから、年に何通か返信を繰り返していたが、六年目から忽然と返事が返ってこなくなり三年が経過した。その間に私は、地球にいる父に連絡を取り、彼女の安否を何度か確認をしていた。彼の性格からか、詳細は伏せられていたが彼女の生まれた場所でもある、地球最古の〝クオルの研究所〟での生活に四苦八苦していたようだった。

 私は彼女に直接会って助けたかったが、地球には行けない事情がある。
 なので、研究職を辞め、金になる仕事だけを熟し、匿名で金銭面をある程度援助をしていた。側にいてやれない代わりに少しでもの報いになればと。

 今年の九月に久しぶりに手紙が届き、私はとても嬉しかったが、同時になんだが照れ臭さもあり、言葉に詰まってしまった。

「こんにちは、リシュ。そっちはどう? 元気かな? わたしは元気だよ! そうそうわたしね、クオルやリベラの仲間を作って、地球を回って慈善事業を始めることにしたんだ。お金の元手がないとできなかったんだけど、リシュのお父さん……知ってると思うけど、私の先生が出資してくれるって。これでわたしの目標の第一歩に進めたんだ! あと、デバイスのIDと番号、書いておくね♪ これで……連絡できるから。いつでも、連絡待ってるよ♡ ID ymlokoko 番号0949956〜 ユキより愛を込めて」

 愛機、片手の半分を覆うデバイス、〝D-Phoneレクタレプス〟で連絡先は登録したものの、メッセージの文面がまとまらないのだ。こう、三年分の思いもあるが、砕けた感じで返したら良い内容でない。文末の≪ハート≫の意味はよくわからないが、向こうの女子の中では普通なのかも知れない。

 そんなこんなで、まとまる事のない≪メモ帳アプリ≫と呼ばれるものに文章を書き散らしては消し、長文を書いても納得いかず、一ヶ月経過してしまった。とっとと返すべきなんだろうが、このもどかしい気持ちを執筆すると、くどくどしくなってしまう。

 彼女の手紙を読んでいたら懐かしくなり、ついでに手記に手を伸ばして見開いた。研究職時代のメモがたくさん書いてある。

 ──夕食の準備に取り掛かる前に、少しだけ読んでみようか。

 クオルとは
 この世界には不思議な生物〝クオル〟が存在する。例外なく今の私もこれに分類されるのだろう。

 クオルには多数種類がいる。秘める能力も個体によって大きく変わる。この惑星、ベンゼルにおいて大分類されるのは、能力者にしか見えない神格化されたものと、多くは精霊の成れの果てであること。例外にクオルと生物の混血種は〝適性ハーフ〟と呼ばれる。なんでも、クオルと生物の混血は死産が多いらしく、研究対象としても◎だとか。適性ハーフは特殊な力を持っているものの生物と変わらず、日常生活が可能。
 適性ハーフと似ているが人工的に作られた〝デミ・クオル〟なども存在する。薬物などでの調整が必要だが彼らも同じく、ヒトと変わらず生活が可能だ。
 そして、神格化されながらも、人間と契約を交わし、人間《ヒト》や生物として生きるものもいる。また、その繰り返しを行い、転生者のように気の遠くなるような長い年月を過ごすものもいるとか。

 1.クオルの王として知られるラギウスと呼ばれるアーティクト前国王の能力を私は受け継ぎ、存在しているらしい。彼の記憶は消えてしまっているが、彼の能力を一部引き出すことが可能。〝同化〟していると、勝手に定義している。興味深いがこれについては一切の記憶がないので伏せる。

 追記:【日付】叡智の民との協力によって、彼を含め全ての記憶が戻った。意識を一時的に譲ることも可能である。

 2.ゼロと呼ばれる、地球にいる私の先生も、人間だけでなく数多なるクオルを束ねる気まぐれな存在だ。
 

 能力者とは
 〝リベラ〟と呼ばれる創造の力と、生命の源である≪マナ≫を媒介することによって魔法を使うことができる者のことを指す。本人の性格や環境に大きく左右され、使える魔法の種類も多い。無論、私もクオルでありながら能力者の類に入る。これは、ややこしい。

 マナ
 私が地球にいた凡そ五十六年前は、≪魔素≫と呼ばれていたが、魔素はその場の環境によっても大きく左右されてしまうため、〝マナ〟と統一されるようになったらしい。

 精霊
 地球にも数多くの精霊がいた。ベンゼルでも例外なくいる。クオルの種類同様多種多様なため、リベラは自分の性格に合う精霊と仲良くすることが推奨される。
 風の精霊と私は仲が良いため、マナを使うことで風を操ることが可能だ。ただし、マナを超えた能力は例え精霊の力を借りたとしても発揮できない。私のマナは雀の涙ほどなので、精々数十キロの海の上を駆け抜けることが一日の限度だろう。ポーションのドーピングは……。やみつきになるので省こう。

 リベラの能力
 リベラの本質は大きくふたつに分かれる。ひとつ、スタンダードは身体能力の底上げが可能だ。私もこのタイプである。もうひとつは、環境を取り巻く〝魔素〟を使い創造するタイプ、アーツだ。前妻アマンダはアーツであったが、ユキさんは幼くもアーツでありながら、スタンダードも熟すハイブリッドタイプと言える。
 父はハイブリッドでありながら、禁忌の魔法を難なくこなす、バケモノと言った具合か。父のようにマナの上限値が無く、割りの良い若い素体を手に入れ次第、転生を繰り返しているリベラが他にもいるのかと思うと身の毛がよだつ。

 ──ここまでにしよう。

 夕飯の支度をする時間にはまだ早いが、きりが良いのでシャワーを浴びて準備をすることにした。

 シャワーの前にペットの〝ベロ〟の様子を見に来た。ピンクの羽毛の専用ベッドの上で白い体毛が膨らんだり縮んだりしている。この時間はリビングの自分のベッドの上で前足に頭を乗せてぐっすりと寝ている。
 ベロは犬型のクオルであり、犬と同化している特殊なクオルだ。ハーフでもなくデミでもない。おまけに起きている時は良く喋る賢い犬だ……。

 今日は久しぶりに知らない誰かに会って、気を紛らわせたい。

 熱い飛沫に当てられ、しばらく身体を温めながら、ユキさんと過ごした日々を頭の中で振り返っていた。